10年前出会った不登校の高校生の現在は・・・

10年くらい前に個人相談をしていた高校生のお話です。


人それぞれに独特の思い方があり、その思いがその人の人生を形作っていくことになります。ですから、人は、十人十色であり、「人の話は、聞いてみないとわからないもの」と言われますが、まさにそのとおりで、勝手に想像しているのと、実際は、大きく違っていることが多いわけです。

 


彼とはじめて会ったとき、彼は、学校に行かない生活をしていました。


「なぜ、学校に行かなくなったのだろうか? 」

「何かがきっかけで行けなくなったのだろうか? 」

「今、何を思っているのだろうか? 」時間をかけて聞くことからはじめました。


何度かの面談の中で、彼は、野球が好きなこと

中学の頃は、チームの4番を打っていたこと

そして、高校野球に憧れて高校に進学したことなどがわかってきました。


ところが、進学した高校は、野球部はあるものの甲子園をめざすでもなく、たらたらと野球をしているように彼からは思えたとのことでした。そこに、彼が求めていたイメージとギャップを感じ始めました。


しばらくすると、高校へ行く目的も見失い、学校も休みがちになりました。それが、俗にいう不登校という状態でした。


私は、そんな話を聞き、「この子は、捨てたものにじゃない!!」と思いました。

なぜかといいますと、一つは、「過去に夢を抱いた経験を持っている」というところでした。


確かに、現実を知って夢が崩れたということはあるのですが、一度は、夢を持ったというところに着目したわけです。

それは、夢を持つ力を潜在的に持っているということだからです。


二番目は、お母さんの日常でした。


そのご家庭は、お母さんしかいらっしゃらないのですが、女手一つで、骨身を惜しんで目一杯働いておられました。このお母さんの頑張りは、必ず、子供に伝わっていますし、この頑張る力は、彼にも受け継がれているはずだと思ったからです。


三番目も、お母さんの姿勢でした。

このご家庭のお婆ちゃんがPLの信仰を昔からされておられて、見るに見かねて、嫁である彼のお母さんを誘われたのでした。それに対して、嫌がることもなく、素直に私のところに相談に来られたというところです。

人のいうことを素直に聞こうとするお母さんの姿勢に彼の可能性を見出したわけです。


人の言うことに耳を傾ける力のある子は、立ち直るきっかけに出会うチャンスが多いことは、それまでの経験でわかっていました。


最初は、口も重い彼でしたが、回を重ねるにつれて、いろいろなことを話してくれるようになりました。

この三つは、その時の状態がどうあれ、立ち直っていくための重要な要素であることは、確かでした。私からすれば、彼が立派になっている姿が見えるようでした。

 

最初に彼にアドバイスしたのは、学校に行くことでも目標を持つことでもありませんでした。

一つは、体力を落とさないように毎日ランニングをすること。そして、家庭を支えようと頑張っておられるお母さんのことを思って、家族の一員として、何か手助けをすることでした。


ランニングは、「何かを続けることから人は成長する」という考えからのことでしたし、手助けは、自分の置かれている立場を知ることが大事だと思ったからですし、何よりも、是非、経験してほしい感覚が、人のために役立ってうれしいという喜びでした。


この喜びを知った人の人生は、崩れにくいからです。ここがポイントでした。

これが、私がイメージした彼の出発点でした。


しばらくすると、彼の中で何かが変わり始めていました。

日々の生活が変わる中で、潜在的に持っていた「夢を描く」能力が再び動き始めたのです。

 

「北海道に行って、牧場で働きたい」

 

「自衛隊に行きたい」

 

「調理師になるために専門学校に行きたい」など、新たな未来のことを思いはじめました。


それは、現実性がどれだけあるというのではなく、新たに夢を持つことに意味がありましたし、もう一つは、自分の置かれている立場を知ることで、今できることにベストを尽くすということに意味があったわけです。


この二つのことは、このときは、別々のことでしたが、これは、いずれ、合体することになり、「こういうふうになりたいから今は、ここを頑張る」という物の考え方ができるようになってくると思っていました。


しばらくすると、「アルバイトをしたい」といい始めました。今までは、何もせずに朝から過ごしていましたが、家の手伝いをするようになり、続いて少しでもお母さんの負担を減らしたいという思いからでたものでした。

 

次の年、違う高校に入りなおし、高校に行くようになりました。そんな頃、私は、転勤があり、山形に移りました。その後、彼は、一度尋ねてきてくれました。今、彼は、20歳代も半ばに成長しているはずです。最近、便りは、ありませんが、きっと、自分の足で立ち上がり、自分の目指すものをみつけてくれていると思います。いや、そんなふうに期待したいと思っています。


今夜は、そんなことを思い出した夜でした。


人には、思いがあり、それが、言動となっていきます。逆に言うと、思いのないことは、実現化しないということでもあるのですが。その言動の変化は、人生の展開となって必ず跳ね返ってきます。まして、そのリアクションが大きければ大きいほど展開にも現れてきます。そんな展開は、その人の人生へと直結するわけですが、忘れてはいけないことは、神の恵みをどれだけいただけたかということが実は大きいのも事実です。(いつも、申し上げますが)

私の言う「神の恵み」とは、タイミングであったり、出会いであったり、知恵を授かることであったりするわけです。(自分の努力の範疇を超えていること)

 

自分は、どうなりたいのかという「思い」

ここが、人生の土台であり、ここが、しっかりしていますと、それを実現するために「今、何をする必要があるのか」という知恵を必ず授かっていきます。その授かったことで、「動き始める」ことが大切です。そうすると、そこに「展開」ができてきますので、その展開に乗っていくことですこれをチャンスとして、私の人生につきましても、改めて、原点を考え、点検をしてみたいと思います。


まだ、肌寒い真冬の庄内にあって、ふと思い出したひとときでした。

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